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by akatycoon03
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マイケルジャクソンと小沢一郎はほぼ同一人物

「マイケル・ジャクソンと小沢一郎についての一考察
〜ポップ・ミュージックと戦後日本政治の"申し子"の共通点〜」


<1955年>

MICHAEL JACKSON ● 1955年、ロックン・ロール誕生

1955年7月、ヒット・チャート紙「ビルボード」誕生

最初のナンバーワン・ヒットはビル・ヘイリー&ザ・コメッツの「(We're Gonna) Rock Around the Clock」。
白人音楽と黒人音楽がぶつかりあって生まれた新しい音楽「ロックン・ロール」は世界中に伝播してゆく。

1956年、後にマイケル・ジャクソンの「義理の父親」となるエルヴィス・プレスリーが大ヒット・シングル「Heartbreak
Hotel」リリース。


ICHIRO OZAWA ● 1955年、自由民主党誕生

自由党と日本民主党の保守合同により、1955年11月「自由民主党」結党。当初はアメリカ政府の反共政策によって支援される。


保守合同まで・・・
吉田茂率いる自由党と、GHQの公職追放から戻ってきた鳩山一郎、岸信介を中心とする日本民主党は主導権を争い分裂していた。

しかし、共産主義の猛威により、「米国を中心とする西側諸国」と、「ソ連を中心とする東側諸国」による「冷戦構造」が確立されると、
複雑な対立要素を越えた保守合同の必要性が高まる。当時の有力者、三木武吉らの尽力で1955年合同に成功。

その後、小沢一郎による1993年の政界再編まで、日本の国会も「55年体制」と呼ばれる「自由民主党」対「社会党」という対立軸が揺らぐことはなかっ
た。



<"申し子"の誕生>

MICHAEL JACKSON ● マイケル・ジャクソン

父親はジョー・ジャクソン、アマチュア・バンド、ファルコンズのギタリスト。
インディアナ州ゲイリー出身。

1969年10月、ジャクソン・ファイヴのリード・ヴォーカリストとして、11歳でデビュー・シングル「I Want You Back」発売。

12月、ファースト・アルバム「Diana Ross Presents Jackson 5」リリース。

ちなみに同じ1958年に彼のライヴァル、プリンスも生まれている。


ICHIRO OZAWA ● 小沢一郎

父親は小沢佐重吉、弁護士、後に衆議院議員。吉田茂の懐刀であった。
岩手県水沢市出身。

1969年12月、父親佐重吉の急死を受け、衆議院選にて27歳の若さにて初当選。

ちなみに同じ1942年に後のライヴァル、小泉純一郎も生まれている。

小沢が初当選した選挙に同じく父親が急死した小泉も立候補したが準備不足のため、4000票差で落選(3年後に当選)。

元総理大臣福田康夫の父親である、福田赳夫元総理大臣の書生となる。

同じ慶応大学出身であり、歴史小説好き、選挙の天才であることなど、小沢と小泉には共通項も多い。


<オヤジの存在>

MICHAEL JACKSON ● マイケル・ジャクソンにはモータウン・レコード社長「ベリー・ゴーディ・ジュニア」

ICHIRO OZAWA ● 小沢一郎には自由民主党総裁、内閣総理大臣「田中角栄」


ともに事業家でありビジネスマン、黒人、小学校卒業という学歴から成り上がった社会変革のカリスマ。

白人エスタブリッシュメント、東大エスタブリシュメントからの嫉妬、抑圧、抵抗、陰謀への対抗心。

すべての事象を「芸能」ととらえる。「民衆の支持が最大の力」という共通した思想。


ゴーディと角栄は、ポップ・ミュージック、日本政治、と分野は違うものの互いに史上稀に見る天才的なリーダーだった。

優れた作曲家でもあったベリー・ゴーディの書いたヒット曲「Money」。彼は、その他にも多数のヒット曲を制作。

田中角栄のずば抜けた政策立案能力。官僚を使いこなすパワー。


ワンマンな仕事ぶり。支配的、家族的なグループ形成。

ジャクソン・ファイヴの他、ダイアナ・ロス&シュープリームス、スモーキー・ロビンソン&ミラクルズ、
スティーヴィー・ワンダー、テンプテーションズ、マーヴィン・ゲイなどビッグ・スターを擁するモータウン帝国。

小沢の他、金丸信、竹下登、二階堂進、奥田敬和、渡部恒三、梶山静六、橋本龍太郎、小渕恵三、羽田孜などを擁する田中軍団。

全盛期は鉄の結束を誇る。

マイケルも小沢も、特別にゴーディ、角栄から可愛がられ、強烈な影響を受けた。

ミュージック・ビジネスにおけるヒット・チャート、政治家にとっての選挙の大切さ。

利益、勝利に対する執念。一部の評論家に左右されず、大衆による得票、チャートをバカにしない姿勢。

黒人音楽をアメリカ中に広げる。黒人による経営。

日本の取り残された地方と、都市のバランスを矯正。


自動車産業のメッカ、デトロイト、そして日本海貿易の拠点、新潟。ともに冬が厳しく、海、湖を利用した海外(異文化)との交流も深い。

ビートルズのリヴァプールも同じ立地条件だが、このような土地は激しいリズムの音楽が好まれる。強いリーダーを生む土壌。





第二章

<モータウン凋落とロッキード事件>

盤石な体制を築いたモータウン・レコードと、自民党田中派。

しかし、時が経つごとにあまりのワンマンゆえに、力をつけてきた仲間、弟子、部下達はそれぞれの事情で離れてゆく。

オヤジからの卒業。

MICHAEL JACKSON ● ベリー・ゴーディ・ジュニアの場合

経済的な分配をあまりにも怠ったこと、自分たちに作曲作詞プロデュースをさせなかったことでアーティストが大量離反。

マーヴィン・ゲイやスティーヴィー・ワンダーは半ばケンカ腰、ゴーディへの腹いせに「What's Goin' On」や「Talking Book」などのアルバムを発表。

これらはゴーディの低評価、大反対を受けながらも大ヒットし、音楽史に残る名作と愛されることとなる。
ゴーディの審美眼がずれてきたことが露呈し、彼はミュージシャン・サイドからの信頼を大きく失う。

マイケルと兄弟も音楽面、経済面でゴーディと対立し1975年モータウンと決別。

ゴーディからジャクソン・ファイヴという名称を取り上げられてしまったため、ジャクソンズと改名しCBSへとレコード会社を移籍。

その後、何度目かのトライアルののちジャクソンズはアルバム「Destiny」で自らがプロデュースした作品をヒットさせることに成功。

ICHIRO OZAWA ● 田中角栄の場合

1974年12月内閣総辞職

1976年ロッキード事件発生

このころより鉄の結束を誇った田中派は田中支配から徐々にニュー・リーダー竹下登、金丸信を中心とした後の「経世会」へと進化。

1985年2月に病に倒れるまで、角栄は自らの総理大臣への復帰を夢見て政界を支配していた。


<新しいオヤジとの80年代>

MICHAEL JACKSON ● マイケルとクインシー

マイケルに大きな影響を及ぼしたプロデューサー、巨匠クインシー・ジョーンズとのコンビネイション。

ふたりの名コンビでマイケルのソロ・アルバム「Off The Wall」、「Thriller」、「BAD」を制作。

音楽的、セールス的にも頂点を極める。

1982年11月。恩師であり宿敵のゴーディの夢を「ある意味で」叶えることとなったマイケルのソロ・アルバム「Thriller」の発売。

世界で最も売れたアルバム(1億400万枚)となり、「人種の壁を越えて」モータウンの遺伝子を世界中に広げることになる。

マイケルとクインシーのクライマックスは、1985年1月28日。

彼らとライオネル・リッチーらの号令の元でアメリカのビッグ・アーティストを集結させ、チャリティ・ソング「We Are The World」を録音する。

作詞作曲をこなし、サビも歌ったマイケル(ヴィデオも別取り)が20代の若さでアメリカ音楽芸能の天下をとったことを証明した。

1989年、エリザベス・テイラーがはじめて公の場でマイケルを評して「True King Of Pop, Rock & Soul」と呼ぶ。

この俗称は後に「KING OF POP」と変化し、マイケル自身が好んで使うことになる。転落への序章。
ネヴァーランドの建設、ビートルズの版権獲得、繰り返された整形手術などで、浮世離れしていくマイケル。

世間の目は少しずつ冷たいものとなっていった。

ICHIRO OZAWA ● 金竹小体制

1982年11月。「Thriller」が発売されたのと同時に、<日本列島改造>をスローガンにした角栄の悲願「上越新幹線」が開通。

角栄が表舞台から消えた後、最大派閥を取り仕切る主流派、金丸信、竹下登、そして親戚関係にもなっていた小沢、この3人の関係・権力は深まった。

各政党(特に社会党)への根回し、国会対策を得意とする80年代自民党の最強コンビネイションは俗に「金竹小」体制と呼ばれた。

1989年、第一次海部俊樹内閣で小沢は史上最年少の自民党幹事長に就任。

40代の若さで事実上の天下をとる。

1991年10月、海部総理大臣が任期満了、本人は続投を臨んだが、竹下派の不支持により退任。

その時、経世会会長の金丸は小沢の総理総裁への擁立を決意。しかし、小沢は若さや準備不足を理由に断固として断る。

この後、他派閥の総裁候補、宮沢喜一、渡辺美智雄、三塚博の3人を最大派閥の会長代行である小沢一郎が「呼びつけ」、
面接するという事件が報道される。

この件で生意気だ、傲慢だという決定的なイメージが強烈につきまとうことになった。

テレビ出演嫌い、メディアへの不協力。剛腕・小沢に対する嫉妬・アレルギーはどんどん高まってゆく。



<独立、激動の季節、そして現在>

MICHAEL JACKSON ● テディ・ライリーとの「DANGEROUS」とその後。

当時最先端のダンス・ミュージックだったニュー・ジャック・スウィングの大胆な導入。

マイケルはクインシーと決別し、はじめて「自分より若い世代」と音楽を作る道を選ぶ。

半数の曲で新進気鋭のプロデューサー、テディ・ライリーとタッグを組み、残りははじめて自らがプロデュースした「DANGEROUS」は音楽的、セールス的にも大ヒット。

しかし、この頃から大きくなり過ぎた「マイケル・ジャクソン」をコントロールできる人物がまったくいなくなる。

敏腕マネージャー、フランク・ディレオの離脱。インタビュー嫌い、コメント、説明を嫌う性格がどんどん悪い報道を助長させる結果となる。

動物好き、猿のバブルスの成長と凶暴化。

幼児虐待疑惑の裁判などで、マイケルの地位と名声はアメリカ社会の中で反発を呼び、よってたかって引きずりおろされる。

ホワイト・アメリカ文化の象徴であるエルヴィス・プレスリーの娘リサ・マリーとの結婚も、ある種の差別意識に火をつけた。

彼自身のコミュニケーション力の欠如による、説明不足。人離れ。



ICHIRO OZAWA ● 細川護煕政権の樹立とその後。

1992年、東京佐川急便事件を受けて金丸が派閥会長を辞任、議員辞職。後継会長擁立時の争いで小沢は非主流派に転落。

1993年、竹下登との自民党内権力抗争に破れ、野党が提出した宮沢内閣不信任案に賛成票を投じ、自民党を離党。新生党を結成。

総選挙での自民党大敗の結果を受け、8党派連立の細川護煕政権の樹立に成功する。しかしそれぞれの思惑が交錯し、連立政権は1年で崩壊。

連立を離脱した社会党と、自民党が組むことにとり、村山富市首相が誕生。

小沢はその後、新進党、自由党、民主党と組織を変え、辛酸をなめ続けながらも、日本政治の主人公として活躍。

動物好き、柴犬のチビの成長と老衰。

側近政治の批判などで、小沢はマスコミや議員、一度は協力した仲間達に、よってたかって引きずりおろされる。
彼自身のコミュニケーション力の欠如による、説明不足。人離れ。

10年以上に渡り苦しんだ小沢だったが、「選挙」を最大の武器とする田中角栄直系の遺伝子をフル活用。
遂に2009年夏の衆議院選挙にて、彼の「唯一」といっていい政治信念「日本に健全な二大政党を作る」を実現。
by akatycoon03 | 2009-09-12 12:41 | 音楽